楽しいはずの年末が…
年末の雰囲気が大好きだ♪
クリスマスや有馬記念などの恒例イベント、忘年会などで高揚感があるから!
一方で、暮れも押し詰まることによる焦燥感もある。その一番の原因は『年賀状』だ!
その年賀状を、去年から出すのをやめた。一部、年賀状だけで挨拶を交わす人たちには出すが、基本的にはやめた。
これまでの年賀状は、宛名は必ず手書き。そしてそれぞれの顔を思い浮かべながらひと言を添えることをやってきた。
ところが、返って来る年賀状は両面印刷でひと言すら添えてないものも多くある。そんなただの儀礼的なものなどいらないと以前からずっと思っていた(決して見返りを期待しているという意味ではない)。
印刷であるが故、竹之上が「竹之内」や「武之上」になっていて、訂正されないままの宛名も毎年必ずやって来る。
もうその人の年賀状は、パソコンの住所録に入力した時点で終わっているのでしょう。
あとは新しいテンプレを用意して、デザインや挨拶文を作るだけ。何十人分もの数をまとめて。そして、プリンターがリズムに乗せて印刷してくれてる。それをポストに投函して、年始の挨拶が終わるのだ。
いや、手書きであっても儀礼的になりがちで、ぼく自身も焦燥感に駆られて年末にバタバタしながら書き上げるのに必死になっていた。何のために書いてるんやろ?と疑問を抱きながら…。
直接ご挨拶をすればいい
コロナ騒動禍で、会いたい人と会えないことも多かった。改めて、人と直接触れ合うことが重要だということを感じた。
ネットだけで繋がっている人も多く、それならばネットで挨拶をすればいい。実際、ネット上の方が広く多く伝わるのは当然だから。そして会える人には直接挨拶をすればいい。
年賀状を書くのをやめたら、年末の気ぜわしさが全くなくなった。なんか気持ちが穏やかになった。あれ?やっぱり年賀状が原因やった?
まぁ、仕事として参加していたイベントがことごとくなくなり、物理的に忙しくなくなったというのもあるけど、気ぜわしさは確実に年賀状の存在がもたらしていた。
勝手に自分に負荷をかけて、自分でなんとか乗り切ってホッとしていた。めっちゃ無駄や…。
なにも年賀状が無駄とは言わない。挨拶状を送ることはいいことだと思う。ぼくにとっては無駄だったかなと。
だから、これからは直接会う人に、直接新年のご挨拶をする。
年始に限らず、お会いした人にはご挨拶をする。それでいい。
自分の中で何かを変えたいときは、ある事柄を始めるより、続けてきたものをやめることを考えるのはいいことだと思う。
どこかの誰かが「始めることよりやめることの方が圧倒的に難しい」などと言っていましたが、始めることの方が難しいのは誰の目にも明らか。
やめる方が圧倒的に簡単なのです♪
このように書いてはいますが、あくまでぼくの考えで、今後どう転ぼうがぼくの判断。ぼくの責任なのです。
そんな穏やかな気持ちで迎える園田競馬の年末年始シリーズ(12月29、30、31日。1月2、3、4日)がきょうからスタート!
年始の1月2、3日だけは事前応募による入場制限がありますが、他の開催日は入場制限はありませんので、どしどしお越しくださいヽ(´▽`)/オマチシテイマース