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専門家のトリセツ

専門家の考え方

世の中には専門家と言われる方々が数多くいて、各メディアでそれぞれ意見を求めらている。

何か世間を騒がせることが起きると、決まって専門家という方が登場して、意見を述べる。それを聞いた我々は「なるほど」と思ってみたり「専門家が言うのだから間違いない」などと思ってみたりする。

当然だと思う。そしてそれが恐らく正解だろうと鵜呑みをする人がほとんどでしょう。

そんなときに出会ったインターネットで見つけた記事。

それは薬学博士、脳研究学者で、東京大学薬学部教授の池谷(いけがや)裕二先生の『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載されていたインタビュー記事でした。

ぼくはこの記事で、だいぶ脳みそがぐにゃぐにゃになった気がした。

7回に分けての連載となっています。ぜひ皆さまもご一読ください♪

その中で、ものすごく驚いた話があったので引用してご紹介します。

専門家は答を出す仕事ではないと、ぼくは思います。
科学者や大学の教授を、
「学校の算数の先生のように答えを教えてくれる人」
というイメージで見る人もおられるかもしれませんが、科学者は、仮説とその反証をくり返す仕事です。
仮説を立てては証明できず壊し、そこからつかんだことで、また別の仮説を立てていく。
仮説の輪廻転生をくり返すのが科学者の性分なので、考えをあまり確定しません。つまり、言ってしまえば科学の専門家は
「あまり確信を持たない人たち」です。
「自分の考えはいつか壊れる」ということに
慣れているんです。
これは普通の人とは、なかなかに、考え方が違うんですよ。だからこそ「なんで、科学者がはっきり物言わないんだ?」
とストレスを感じることが多いんじゃないでしょうか。
これは、科学者側としても、
反省しなきゃいけないことだと思います。

『ほぼ日刊イトイ新聞』池谷裕二インタビュー記事「考えをあらためるということ。」

専門家は正解を出してくれるものだろうと勝手に信じていた。

でもこの話からすると、専門家と言われる科学者の人たちがおっしゃっているのは、仮説であるということ。

それぞれが確信を持っていないということ。

なのに聞いている側は、専門家が言うのだから間違いないと思いこむ。

或いは「専門家は意見をコロコロと変える」と憤る人もいるけど、それは“仮説と反証をくり返す”という一文で説明がつく。

自分よりも遥かに頭の良い人たちが、専門的に研究し導き出した答えだから、それは間違いないんだろう。そう思ってしまうのは仕方がないところ。

頭の良し悪しを別にしても、専門家の意見は正しいと思いがち。

専門家ということで言うと、ぼくは競馬の実況を20年以上しているので、競馬実況に関しては専門家ということになるのかも知れない。

その証拠に、かの有名な『探偵!ナイトスクープ』という超人気番組に“競馬実況の専門家”として出演させていただいた。いやはや恥ずかしい(〃ノωノ)

ぼくの競馬実況の巧拙は別にして、20年以上もやっていれば、それなりの見識があると思われることでしょう。

ぼくが出演したのは、競馬実況アナウンサーになりたい高校生が、競馬場で実況する夢を叶えるという企画。そこには専門家と言われる人がいて、何かアドバイスがあった方が良いと考えるのは当然だろうと思う。

ただ、実況を20年以上やってきて、実況に正解はないと本当に思う。偉そうに誰かに「こういう風に喋った方がいいよ」などと言うときもありますが、確信を持っていないような気がする。

自分の中でもコロコロと考え方を変えた経験があるのを思い出す。

もともとが『ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)レースアナウンサー養成講座』出身だったので、数年間は馬番を言わずに実況することが多かった。
※当時のラジオたんぱ(NIKKEI)さんの実況は、基本的には馬番を言わずに馬名だけで実況していた

弊社の代表であり、競馬実況界のレジェンド吉田勝彦アナウンサーに「馬番を言った方がいい」と言われても、競馬は馬番が走っているんじゃないんです!と偉そうにたてついたこともあった。

最初に教わったことが正しいと信じ込み、盲目的に遂行していただけだった。或いは専門的な分野に足を踏み入れ、一般の人たちが知り得ないことを知って優越感に浸り、いい気になっていただけだったのかも知れない。

でも、それは間違いだとその後になって気が付く。やっぱり馬番と馬名をセットで告げた方が聴いてくれている人には伝わりやすいということを。

こんなシンプルなことに気付かないのが人間なのだなと思う。

数年前からはラジオNIKKEIさんでも、馬番も入れて実況することになった。我々の専門分野でも考え方に変化はあるのだ。

専門家は必ずしも正解を導き出してくれるとは限らない。一度唱えたことを撤回することだってあるということは、心に留めておかないといけないと思う。

別に専門家に限らず、誰しも考えを変えることがあると思う。でも、それでいいんじゃないでしょうか。

人間には、変わる権利がある。

堂々と偏見を持つ

池谷先生のインタビュー記事の中では、偏見についても語られている。

池谷「考える」ことと「偏見を持つ」ことは表裏一体。
いや、むしろ、イコールなんです。あんな意見もあるよね、こんな意見もあるよね、こんなこともあるよね、というのを全部、平等に置いていたらどうなります? それは「考える」とは言いません。

「世の中にはさまざまありますね、以上」
これはなにも考えていないに等しい。
ただの意見の陳列。
つまり多様性を、そのまま手を入れずに
放置することは、思考放棄なんです。

『ほぼ日刊イトイ新聞』池谷裕二インタビュー記事「考えをあらためるということ。」

「考える」ことと「偏見を持つ」ことはイコールなんだという発想は驚いたけど、すごく納得。

他人の意見を偏見だと考えるということは、自分が正しくて、自分を中心に考えているわけだから、それこそ偏見だと思われてもおかしくない。

それは他人の意見を自分の色メガネで見ていたに過ぎない。

そもそも、いろんな意見がある中で、フラットでいられる方が難しい。

テレビ番組の司会者でもフラットであるはずはないし、制作側もフラットではない。

仮にフラットであるとしたら、何の考えもない思考放棄の状態だということになるから。

だから、他人の意見を鵜呑みにせず、しっかりと自分の考えを持つ。つまり、堂々と偏見を持つことは重要なのだなと。

競馬に置き換えてみる

競馬の中でもトレーニング方法や血統などが科学的に研究されている。馬券術でさえ、研究の対象にしているとも聞く。

それぞれが未だに研究が行われているということは、正解が出ていないということなのでしょう。

この中で競馬関係者やファンに一番馴染みがある研究は「血統」だと思う。

関係者はどの種牡馬の産駒(さんく)であるかや兄妹、近親にどんな活躍馬がいたかなどを参考にする。

ファンも競馬の予想に際し、血統を重視している人は結構多い。データ量が豊富な中で研究が進み、ある程度の傾向が出ているので、それに沿って狙いを定めていく。

ぼく自身もダート競馬(砂のコース)が好きなので、ダート血統というものを考えながら予想することがある。

でも、本当に血統ってアテになるのだろうかとも思っている。

例えば「オルフェーヴル産駒はうるさい(気性が激しい)から」と聞くと、大抵の競馬ファンは「オルフェーヴル自体がうるさい馬だったからね」と納得すると思う。

そうは思うけど、全てのオルフェーヴル産駒がうるさいわけではない。よくよく考えたらオルフェーヴルの父の父であるサンデーサイレンスも、産駒はうるさいとよく言われていた。

父のステイゴールドだってうるさかったと聞く。

何が言いたいかというと、オルフェーヴルによって、この世に初めて「うるさい馬」という症状がもたらされたのではないということ。

あっ、症状っていう言い方おかしいか(^◇^;)

とにかく初めて「うるさい馬」が登場したのではないってこと。

程度の違いはあれども、サラブレッドには近親交配がもたらすものなのか、うるさい馬は数知れずいる。

実際、馬に接している人にすれば、うるさい馬と言っても様々だろうし、特徴的な部分も、血統によって偏りがあると感じているかも知れない。

それでも、ファン目線に届く「うるさい馬」は、○○の産駒だからでだいたい片付く。

ジョッキーたちに話を訊くと、走らない馬(成績の悪い馬)ほど「うるさい」と言う。そして、そのうるささが災いして、レースに集中できなくなり、良くない結果に繋がるのだそうだ。

走る馬(成績の良い馬)はうるさくても、必要以上にヒートアップしてレース前に消耗などしないらしい。だから好成績に結びつくのだと。

血統は馬の性質を説明するときに便利なツールだけれども、決して正解を導き出すものではない。

もちろん競馬ファンは、そのことは重々承知している。なぜなら、血統論を覆す意外な結末を何度も目にしているから。

それでも血統論はなくならない。その意外性を含めて研究は進化していくのだ。

専門家の根幹にあるもの

専門家や科学者と言われる人たちが、それぞれの分野で正解を求めて飽くなき挑戦を続けるのはなぜなのか。

それは正解がないからこそじゃないかなと思う。

正解が発見されていれば、それをなぞるだけで自ずと答えに辿り着ける。

そんな答えが見えているものに、人は興味を持続できない。

じゃあ、敢えて正解がないものに挑みたくなる気持ちを突き動かすもの。その根幹にあるものは一体何なのか。

競馬ファンの皆さんなら、すでに答えをお持ちじゃないかと思うのです。

血統に抱く想い…。

馬券に抱く想い…。

競馬に抱く想い…。

それでは、せーので言いましょうか!

せーの!

浪漫(ろまん)』!!

科学者や専門家、研究者。はたまた馬券術を模索する馬券オヤジたちの根幹にもあるものは『浪漫』じゃないだろうか。

つまり誰しも抱いたことのある夢や希望こそが『浪漫』なのです!

先日、JAXAが開発した『はやぶさ2』が、小惑星『リュウグウ』から様々なサンプルを採取し、地球に帰還させたことが大きく報道されました。

記者会見の様子を多くの人がご覧になったと思う。

そのときのJAXA津田雄一プロジェクトマネージャーが語った言葉を覚えてらっしゃいますか。

津田氏は爛々と目を輝かせて「今までの仮説を裏切るような事実がリュウグウのサンプルから分かれば、こんな面白いことはない」と歓喜したのです。

ほら、科学者とはこれほどまでに仮説を覆されることを望んでいる性分なのです。

あの目の輝きは浪漫を語る人そのもの。

だから各メディアで発言する専門家の皆さんも、浪漫を語っているのだろうなと思っている。

浪漫を追求するために立てた仮説が、ときに覆されることがある。そんなとき専門家(科学者)は意見をガラリと一変させることがあるということを、我々は肝に銘じておけばいいだけ。

他人の意見や浪漫などはそんなもの。だから、やはり浪漫は自分自身で抱くことが大事なんじゃないかと、ぼくは思う。

競馬に浪漫を感じたからこそ、入り込んだ世界。

家族ができたら、これからの生活に浪漫を抱く。

今年の3月に始めたウクレレは、上手くなるんじゃないかなという浪漫が後押しして、毎日爪弾かせる。

あなたの浪漫はなんですか?

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